友だちにまつわる悩みは、なんといっても女子の特権。
単純な男どもはカッとなって取っ組み合い、上手くいけば笑って終わるし下手すれば新しい上下関係が決まる、ただそれだけのことだ。
だったら、どうして女子は簡単にいかないのか、なにが友情を難しくさせているのか、昔から不思議に思っていた。
いじめられたことも、いじめたこともなかった私にとってこの「女子の悩み」は理解しがたいものだった。
気が合えば一緒にいて、合わないのなら無理して一緒にいることもない。
いつでも、男女関係なく友だちと呼べる人たちに囲まれて過ごしてきた。
大好きな友だちは私のことを好きでいてくれる自信がある。
それが当たり前だと思っていた。
この本の中にでてくる男性は、主人公の小夜子の夫(修二)と小夜子の勤める会社に社員でもないのにいつものようにいる木原の2人のみ。
若い頃の葵の父も少しだけでてくるが、それ以外は女だらけの、なんとも女らしい世界の話だ。
「プラチナ・プラネット」の社長、楢橋葵。会社というよりは学生生活の延長のようなスタイルで仕事をする彼女、その彼女の新プロジェクト「旅行会社の掃除部門」に採用となったのが主婦の小夜子だった。
顔見知りではないにしても、自分と同じ年齢で同じ大学に通っていた葵の下で働く事になった。
結婚前に働いていた職場でも女性グループの対立、娘を連れて行く公園での派閥、どこにいってもついてくる女同士の付き合いに臆病になっていた小夜子が新しい職場で出会う女たち。
それと同時に描かれるのは、学生時代の葵とナナコ、2人の少女の物語。
「(中略)無視もスカート切りも、悪口も上履き隠しも、ほんと、ぜーんぜんこわくないの。そんなとこにあたしの大切なものはないし」
いじめられっこだった葵が転校先で出会った少女、魚子(ナナコ)。
学校ではグループに属さず、ひとり自由にいろんなグループを行き来する彼女と、いじめられることに怯え、なんとなくの友だちとつるむ葵。
毎日のように放課後を共に過ごし、家にいるときは電話をしあう2人でも、学校では一緒に行動しない。
葵が恐れていたように自由奔放なナナコはいじめの的になった。
親友と呼べる相手なのに、自分の身を守るためにはナナコにしゃべりかけるわけにはいかない。
そして、なによりナナコ自身もそれを望んではいなかった。
誰にひどい事を言われても、「それはあたしの問題じゃなくてあの人たちの問題。私の持つべき荷物じゃない」と答えるナナコにとって本当に大切なものはなんだったのか。アルバイト先の民宿から、家に帰らないことを選んだ2人の少女が守りたかったのはなんだったのか。
1日24時間は、男性だろうと女性だろうと子供だろうと大人だろうと皆一緒だ。
一人(仕事)の時間、家族(恋人)との時間、そして友だちとの時間。
でもなぜか、私たち女には女同士の時間として別の時を与えられているような気がする。
それは男友だちとは決して分かち合えないもの。
長電話もやたら長いメールも男がすれば女々しいことを、私たちは年中している。
結論や行動が大事なのではなく、考えや相手がそこにいる事実が重要。
そう考えると、女には女同士の時間があり、友だちがいないと女同士の時間を持て余すことになる。
かといって好きでもない友だちと過ごす女同士の時間も、楽しいとは思えない。
結局、適当な女友だちはいても、いなくても悩みのタネになりやすい。
いじめられていたナナコがそれでも葵を信じていたように、信じたいと思える人とだけ付き合うべきだ。
相手に信じてほしいと願うのではなく、裏切られたと悲しむのでもなく、まずは自分から信じる。
小夜子が最後にみつけたのは、そんな女の友情だったんだと思う。
改めて考えると、とても難しいものに思えてくる、女、女、女の関係。
それに今まで気付かなかったのは、友だちに恵まれたおかげかそれとも私の楽天主義のおかげか。。。
どちらにしたって私には、この本を薦めたい女友だちが何人もいる、それでいい。
※対岸の彼女 角田光代 著 文芸春秋