「ティファニーで朝食をとるような、いい女になる。」
クラス中に配られた作文用紙に、女の子は少しだけ考えて、そう書きました。
それは中学の卒業文集に寄せる言葉。
書ききれない想いをああでもない、こうでもないと頭を悩ませる子、書くことがなくて困っている子、先生が見回る教室の中、彼女だけはさっさと作文用紙を裏返して時間を持て余していました。
それから数週間後、できあがった卒業文集を開いた彼女は目を疑いました。
打ち合わせしたかのように全員が同じ言葉を並べていたのです。
「僕(私)の一番の思い出は・・・」「高校に行っても・・・だけは忘れません」
それからもっと驚いたのは、彼女の一文を見たみんなの反応。
「こんなの手抜きだよ」と優等生のめがねくん、
「いつもの冗談ね」と可愛いあの子、
「お前がティファニー?」と大爆笑する不良グループのやつら。
名前を隠せば誰のものか分からない自分たちの文章が普通で、ありがとうさえ書いてない彼女のはルール違反だとでも言うように。
自信作を笑われるのが悔しかった彼女、その話が出るたび耳をふさいでいました。
そしてまた三年後、今度は高校の卒業文集に言葉を残すときがきました。
あの頃のことはすっかり忘れていても、自分らしいものを書く意欲も湧かず右手のペンは進まずにいたとき、同じ中学だったクラスメイトが話しかけてきました。
「ねぇ、どんな風に書いてるの?」とクラスメイト。
「別に・・・何書こうか考え中だよ。なんで?」と彼女。
「うちのお母さんがね、あの中学の文集読んだときに、さすが作家の娘さんね、ってすっごく褒めてたから今度はどんなこと書くのかなって思って」
何気なく言ったクラスメイトの言葉は彼女にとって、今までで一番の褒め言葉になりました。それは今でも変わらず、ここにいる彼女を支えているようです。
この作家に出会ったときから好きだった「クリスマスの思い出」が含まれた新訳版、
「誕生日の子どもたち」トルーマン・カポーティ 村上春樹訳
これを読書感想文練習帖、最初の宿題とします。